俳句の作り方 春の月の俳句

車にも仰臥という死春の月  高野ムツオたかのむつお

くるまにも ぎょうがというし はるのつき

春の月が春の季語。

 

 

 高野ムツオは2011年3月11日東日本大震災の折り被災したと先週述べました。

掲句もその震災詠です。

 『萬の翅まんのはね』より引用します。

「三日目、近隣に住む一人暮らしの句仲間のことが気になって訪ねた。

留守だったが、隣の人の話では避難所に逃れたらしい。

無事だったことを知り、胸をなでおろす。

行きも帰りも、泥だらけの道には車が横転していたり、

逆立ちしていたり、重なったりしている。

橋下の道路には何台も積み重なって山をなしている。

言葉を失った。

 数日後の夜更け。

ふと顔をあげると大きな春の月が浮かんでいた。

不思議なものを眺めている心地がした。」

車にも仰臥という死春の月

 

 

 季語春の月について・・・。

「古来、秋の月はさやけさを愛で、春の月は朧なるを愛でるというように

滴るばかりの風情を楽しむ」(俳句歳時記 春 角川書店編)とあります。

しかし作者はそんな風情を楽しんではいません。

「不思議なものを眺めている心地がした」のです。

つまり、在るべきものでないものが存在していたと感じたのです。

春の月は晴れていたならいつでも眺めることができます。

だが掲句の春の月は震災の悲惨な光景を照らしています。

そんな春の月があったでしょうか?

朧に滴る春の月は震災に似つかわしくありません。

そこに存在してはいけないものと言えば過言でしょうか?

 

 じゃあ、季語が変質し凌辱されたのでしょうか?

違います。

季語の持つ伝統的な意味に加えて、震災が新しい価値を付与したのです。

車にも仰臥という死春の月

 

 

 一般人の俳句をご紹介して分かりやすくご説明します。

炊き出しや余震にゆるる蜆汁  熊沢れい子くまざわれいこ

たきだしや よしんにゆるる しじみじる

蜆汁は春を告げる喜ばしい季語です。

それに加えて不安も表現しているのです。

決して季語が変質したり凌辱されたりしていません。

新しく付与された価値がそこにあります。

炊き出しや余震にゆるる蜆汁 

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